O・M様,こんにちわ。

御詠歌の事について,お返事を有難う御座いました。
ネット検索の何処かで浄土真宗が唱えると記載してあるのを見てお尋ねをしたのですが,
私の勘違いだったのですね。大変失礼を致しました。改めて検索をしてみたのですが,
何処で見たものだったのか・・・・・?

昨年の義兄の急逝以来,慌しく過ぎ去った月日でしたが,新年も1月が終わろうとしています。
小笠原様も相変わらず,お忙しい日々を過ごしておられるのでしょうか。。。。
今年の風邪は随分としつっこくて1ヶ月近くもぐずついて,やっと,回復に向かい始めました。
本当に,やれやれという気持ちです。小笠原様を慕われる多くの方達の為にもお体は御自愛下さい。

私は,昔々から随分と反抗的というか,反骨精神というか。。。。親に逆らった生き方をしていたように思います。


それは,その時その時を自分なりに真剣であり,自分で正しいと信じた生き方でありましたが,,,,
今,其々を思い返してみて,,,,
自分を叱るだけの親の心は,全てが,自分を愛するが故の親の愛であったと気付く。。。。。
何とも早。。。。齢54歳にもなって気付く情けなさです。。。が,
これも気付かないで逝くよりは良かったのでしょうか。。。。

子供が小さな頃の事なので20年近くも前の事でしょう。。。母親に「反抗してばかりで悪かった」と,
謝った事がありましたが,その時には母親がとても,喜んでくれた事が嬉しく記憶から離れません。
母親の仕事場の同僚は,娘さんが離婚した後も母親と諍いが絶えず,,,,その事を思えば,
娘が幸せな結婚をし,,,自分が生きている間に詫びを言ってくれる。。。とても,幸せだと。。。。
こんな事もあったと思いだしました。。。

母親と一緒に生活をした記憶のない私は,結婚した後も実家に帰るという気持ちがなく,
隆さんの「顔を見せるだけでも親孝行」という言葉に,仕方なく行くという状態でした。。。が,
母親は,私の顔を見る度に小言です。。。顔を見せるだけの「ふらっ」と手ぶらで現れた娘に,
お兄さんが結婚していれば,こんな事ではいけないと小言。。。ならば何かを持っていかなければと,
お土産を持っていけば,こんな気を使う必要ないと。。。。いったいどうしろと言いたいのだと。。。反発心が起きる。
お土産云々といっても,結婚していない兄。。それを取り越し苦労のように小言を言い続ける母親。

しかし,片親で苦労して育ててくれて母親に対して何もしてあげる事が出来なかった私でしたが,
やっと我が家がお米を購入した時に,お裾分けを出来るように。。。。そんな或る日,
お米を持って行く事によって重国家の親戚筋から何かを言われるのではないか。。。
そんな事を心配する。。。。。其処で,

心配しなくていい。お母さんにあった苦労。私にもある苦労はある。。。が,
それはお母さんの苦労と私の苦労は同じではない。
其々にある苦労だけれど,それは同じではない。
私にある苦労には隆さんが付いている。
苦労があった時には隆さんと二人で乗り越えて行くことができるから,私の事は心配ない。
私の事で隆さんの親戚筋にとやかく言われる事はないし,
言わせるような事はしないから,心配する事ない。

その時に,,,涙を浮かべていた母親の顔が思い出されます。
母親の両肩に手を置いて,このように話をした後から母親の小言がなくなったのです。。。
一切の小言がなくなったのです。。。

この事があってら何ヶ月が過ぎたのでしょうか。今になって,今迄の小言の一切が。。。。
私の記憶に残っている年齢から言い続けてきた小言。記憶に残る年齢から聞かされ続けてきた小言。
小言の全てが私の行く末を心配するが為の「愛」であったのだと,今更ながら気付く凡庸さ以下です。
なすびの花と親の説教には,千に一つの無駄がないといいますが,,,,嫌っているとばかり思っていた親の心。

好かれる長所のない人間と思い続けていた54年。。。しかし,それは全てが私を愛しているが故の
心配からでた言葉だったのだと今更ながら気付いたわけです。

情けないですねぇ。。。。自分が親として生きて,
私は自分の親とは違う。。。自分の親よりはマシな子育てをしていると思っていたけれど,,,
心の中は,私も母親も何一つ変わる事のない,子供への「愛しさ」があるだけだった。

そんな事に気付かされた新年の始まりでした。。。。
何とも長い長文を申し訳ありません。
母親に対して申し訳なかったという気持ちと同時に,母親に対して長年に於いて,
蟠っていた自分の心が晴れた嬉しさを,ついつい聞いて頂きたくなりました。

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----- Original Message -----

From: "O・M"
To: "Sarubia"
Sent: Sunday, February 05, 2006 5:43 PM
Subject: Re: 親の心,愛

Sarubia様

お久しぶりです。寒い日が続きますね。

> 自分を叱るだけの親の心は,全てが,自分を愛するが故の親の愛であったと気付く。。。。。
> 何とも早。。。。齢54歳にもなって気付く情けなさです。。。が,
> これも気付かないで逝くよりは良かったのでしょうか。。。。

『往生要集』23、蓮華初開の楽に、
「辺鄙のたみの、たちまちに王宮に入れるがごとし」、ということが書かれていますが、
Sarubia様の精神的な立場が、辺鄙から王宮に移ったということでしょうか。
子の立場に留まっていたものが、いつしか本当の親の立場にお育ていただいた。
王の立場に立たねば見えてこないものが沢山あります。
信心の徳である「蓮華初開の楽」は、そのことを言ったのでしょう。

同じ言葉でも、立場が変われば心に響く内容が変わってきます。
立場が変われば、同じ現実を見ても、見える世界が変わってきます。

> 顔を見せるだけの「ふらっ」と手ぶらで現れた娘に,
> お兄さんが結婚していれば,こんな事ではいけないと小言。。。ならば何かを持っていかなければと,
> お土産を持っていけば,こんな気を使う必要ないと。。。。いったいどうしろと言いたいのだと。。。反発心が起きる。

これも親の立場で聞けば解りますね。
手ぶらで訪れたことに対しては、
もし手ぶらで行く事を他人のところでやったらいけない≠ニ小言が出ますし、
実際にお土産を持ってこられたら、色々気を使って、やはり小言が出ます。
親は子どもの一挙手一投足が心配なので、余計とは思いながらも一つひとつに言葉が出ます。
要するに、一人前の人間になってほしい≠ニの親心。
それも、自分や相手の未熟さを知るがゆえの小言なのでしょう。

> 好かれる長所のない人間と思い続けていた54年。。。しかし,それは全てが私を愛しているが故の
> 心配からでた言葉だったのだと今更ながら気付いたわけです。

本当にそうですね。

> 情けないですねぇ。。。。自分が親として生きて,
> 私は自分の親とは違う。。。自分の親よりはマシな子育てをしていると思っていたけれど,,,
> 心の中は,私も母親も何一つ変わる事のない,子供への「愛しさ」があるだけだった。

私も、子どもには何一つ親らしいことはしてやれていないのですが、
自分と同じ轍はふませたくないし、このままでは将来心配な面が多々ありますので、
小言ばかり言う毎日です。
見守るだけの綺麗ごとでは子育てはできませんから。

> 母親に対して申し訳なかったという気持ちと同時に,母親に対して長年に於いて,
> 蟠っていた自分の心が晴れた嬉しさを,ついつい聞いて頂きたくなりました。

親に対しても、社会に対しても、
本当は大事なものなのに、不平を言ったり非難する人が大勢います。
泥田の中で咲く蓮華のように、泥を排除せず、そこから養分を吸収し、
与えられた尊い宝の華を、満開に咲かせてゆきたいものです。

合掌
                          O・M