390 供養とは?               名前:Sarubia 2003/10/14 02:04:59
  
 
   Sarubiaは皆様とお近づきを得るようになってから,主人の名前で母屋のお寺さんで
母屋の御先祖の供養をお願いをするようになりました。が,今年の9月のお彼岸の
御供養を頼み損ねてしまって,それでも自分の御先祖への供養の気持ちを表したいと
想って,御寺さんの仏様のお供えにして頂こうと,塔婆供養の為の費用を
「お供えの足しにしてください]と,御先祖様への供養の気持ちを仏様に回向する想いで
お寺さんにお金を納めました。何だか変な文章になってしまいましたが,
 
僧侶に経をあげて頂くだけが供養ではない。
僧侶に塔婆供養して頂くだけが先祖供養ではない。
僧侶に法要をして頂くだけが先祖供養ではない。
 
等と考えるのは不遜な考えなのでしょうか。
先祖供養をしたいという想いがありながら,どうしても,
形を形とみてしまう自分は何時迄経っても,
仏の路を望みながら,仏の路に入りきれないのでしょうね。
 

 
391 Re:供養とは? 390へのコメント          名前:Shinsui 2003/10/15 11:53:17
  
Sarubia様、いつもありがとうございます。
 
> Sarubiaは皆様とお近づきを得るようになってから,主人の名前で母屋のお寺さんで
> 母屋の御先祖の供養をお願いをするようになりました。が,今年の9月のお彼岸の
> 御供養を頼み損ねてしまって,それでも自分の御先祖への供養の気持ちを表したいと
> 想って,御寺さんの仏様のお供えにして頂こうと,塔婆供養の為の費用を
> 「お供えの足しにしてください]と,御先祖様への供養の気持ちを仏様に回向する想いで
> お寺さんにお金を納めました。何だか変な文章になってしまいましたが,
 
{葬式でお経を読むのは死んだ人の供養のため?} 等に書きましたが、
供養とは、尊敬心の現われであって、究極的には、如来の徳を称えることが諸仏供養となるのです。
 
> 僧侶に経をあげて頂くだけが供養ではない。
> 僧侶に塔婆供養して頂くだけが先祖供養ではない。
> 僧侶に法要をして頂くだけが先祖供養ではない。
>
> 等と考えるのは不遜な考えなのでしょうか。
> 先祖供養をしたいという想いがありながら,どうしても,
> 形を形とみてしまう自分は何時迄経っても,
> 仏の路を望みながら,仏の路に入りきれないのでしょうね。
 
おっしゃる通り、自分の思い込みで供養しても、形にとらわれたり、差別の毒の混じった供養にとどまり、
真の供養にはなりません。あくまで、自らの思い込みを転じて、如来の功徳を念じ称えることが、すなわち
真の「諸仏供養」なのです。如来に我執を転じられつつ、如来の言葉やはたらきに順じて、ご先祖さまや、
生きている周りの方々を尊敬し、それを形に表す努力を続けること。それが真の供養
なのです。そのためには、
先人たちのことや回りの人々を深く理解する必要もあります。そして、真の供養がかなう時には、母屋の御先祖・
自分のご先祖、という隔たりのない、「一切衆生悉有仏性」という如来の眼が至り届いた時でもあるのです。

392 Re;供養とは?               名前:Sarubia 2003/10/17 02:40:34
  
Sinsui様,お返事有難う御座いました。
 
:如来の言葉やはたらきに順じて、ご先祖さまや、生きている周りの方々を尊敬し、
:それを形に表す努力を続けること。それが真の供養なのです。
 
仏事をこなす事が真の供養ではなく,自分自身の真心と尊敬の念を周囲の
人々に向け,自分の想いを伝え続け,亡くなられた方々への想いを形に
表すのが仏事であり,自分の真心と全ての命に対して尊敬の念を持ち続ける
努力を続ける事こそが大事であり,その努力を続ける事が供養なのですね。
 
自分の努力が真に自分のものとする事が出来た時,
自分から観てどのような人であろうとも,またどのような人柄であろうとも,
生きとし生ける命全ての者,仏となる性質が心の内にあり,
輝く光がある事を理解出来るのですね。
 
そのように想い乍も,ついつい自分の心に苛立ちがある時,
相手の心の内を想いやる心にかけてしまう愚かさを繰り返してしまいます。
そのような時,こうしてお話を伺わせて頂く事によって,自分の心に
潤いを与えて下さる皆様に感謝です。

         浄土真宗やっとかめ通信・掲示板より転用