121 幸せを考える。U        名前:Sarubia 2002/07/15 01:43:40

皆様,こんにちわ,

先日,私のメール友達が“平凡に日々が過ぎていきます”と,メールに書いてあったので,
↑の8割方書き上げていた原稿を送信したところ,今日“心が痛い”と,返信がありました。
私の書いた内容を読む多くの人がきっと,自分の事だと思うだろう。そして,

: >平凡な人生とは差し障りのない(あえてもめたくない 逃げ腰の)生活なのです。

メールにこのように書かれてありましたが,実は,この私だって同じなのです。
確かに,今まで自分が逃げていた事に関して前へ進もうと努力を始めました。が,
自分の生活の中に於いて未だに,人と打ち解ける事を避けつづけている自分がいるのです。
それは,友達がが心が痛いと言われた逃げ腰の生活に他ならないのです。
では,このような原稿を書いた私は偽善者に他ならないのでしょうか。
現実から逃げている部分があるのも事実,また,苦難に向かっていこうと努力をしている
自分があるのも事実なのです。

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122 Re:幸せを考える。U 121へのコメント       名前:Shinsui 2002/07/17 17:12:51
  
> 皆様,こんにちわ,
>
> 先日,私のメール友達が“平凡に日々が過ぎていきます”と,メールに書いてあったので,
> ↑の8割方書き上げていた原稿を送信したところ,今日“心が痛い”と,返信がありました。
> 私の書いた内容を読む多くの人がきっと,自分の事だと思うだろう。そして,
>
> : 平凡な人生とは差し障りのない(あえてもめたくない 逃げ腰の)生活なのです。
>
> メールにこのように書かれてありましたが,実は,この私だって同じなのです。
> 確かに,今まで自分が逃げていた事に関して前へ進もうと努力を始めました。が,
> 自分の生活の中に於いて未だに,人と打ち解ける事を避けつづけている自分がいるのです。
> それは,Junkoさんが心が痛いと言われた逃げ腰の生活に他ならないのです。
> では,このような原稿を書いた私は偽善者に他ならないのでしょうか。
> 現実から逃げている部分があるのも事実,また,苦難に向かっていこうと努力をしている
> 自分があるのも事実なのです。
 
人間は色々な段階を経て成長するのですが、そのきっかけとなるものを善と呼びます。
 
1、成長しようとしない人にはまだ善が見えていません。
2、成長しようと決意して初めて善が問題となるのですが、最初は観念だけで、実行が伴っていない段階。
3、次には、実行に移しても理想を追うだけで、自分の足元が見えていない段階。
4、その次に、足元が見えて悩む段階。
5、そして、足元と理想の両方を深く思惟して、歩むべき方向を見つけた段階。
6、さらに、彼方の目標が現実に還って私の身につき、社会にその徳が広がる段階。
7、これらが完全に具わっている段階。
 
ですから、偽善者といっても様々な段階があり、「偽善者だからだめだ」ということはないのです。
上記でいえば、2、3、4の段階が偽善に悩むことになるのですが、
5、6の段階でも、偽善が止んでいるわけではありません。歎きつつ善に転じているのです。
元々は純粋な善でも、一瞬後には善を破壊する心が起きてきます。
「現実から逃げている部分があるのも事実,また,苦難に向かっていこうと努力をしている自分があるのも
事実なのです。」と言われるように、
この世に存在するもの、特に心は、すべて矛盾をかかえているのです。
矛盾から目を背けるのではなく、矛盾を矛盾と見抜き、試行錯誤しながら、真摯に現実を歩むことで、
根源的な善が無限の過去よりの呼びかけとして私を見つけ、今、出会うことができるのです。これを
浄土真宗では浄土の菩提心とも金剛心とも真実信心とも称しています。
 
偽善を偽善と見抜いていれば、やがて偽善でない心に出会うことができるはずです。



          浄土真宗「やっとかめ通信」 掲示板より


        ※  それぞれが,それぞれの隠れた役目を背負って生きているからこそ,
                今の一瞬・一瞬を大切に,大切に守りながら,
                   真実を求めて生きていくのですね。